2020.05.28,

プロボノ自己紹介/田舎で暮らす編集好きウェブ解析士

はじめまして。2019年8月からプロボノとして、共働き未来大学に参加している羽生 和彦と申します。今さらですが、自己紹介をさせていただきます。

現在は、永田町にあるIT企業でWebマーケティングのコンサルタントをしています。上級ウェブ解析士という資格を取得しており、Googleアナリティクスというサイト解析ツールを使って、日々サイトのデータを分析しながら、どのような施策を実施すべきかクライアントに提案している感じです。

ただ、コンサルタントになる前は、新聞社系のメディア企業でコーポレートコミュニケーションとしての記事体広告や、オウンドメディアのコンテンツ制作に携わっていました。ですので、実はサイト解析より、ITやビジネス分野のBtoB向けコンテンツマーケティングの企画、編集作業が、得意だったりします。共働き未来大学では、編集やコンテンツの制作に携わる機会を増やしたく、プロボノに応募しました。

共働きにとどまらず、多様性のある働き方や、「新しい生活様式」におけるワークスタイルのあり方などに興味があるので、プロボノの活動を通じて、世の中の“先進事例”を知る機会になればヨイなと思っています。また、単純に新たな取り組みを知るだけでなく、自分の企画力や編集力を駆使して、新しい潮流を世の中に広めていけたらうれしいです。

10年ぶりに、家族を連れて幕張にUターン

さて、私の現在の住まいは、千葉の幕張です。我が家は、妻と10歳の息子、6歳の娘という4人家族。もともと千葉が地元というわけではないのですが、20年くらい前に両親が一戸建てを購入してから、幕張が我が実家(本籍地)となっています。

私も独身時代は幕張にいたものの、2007年に結婚してからはずっと川崎の武蔵小杉に住んでいました。2017年4月に、約10年ぶりに自分の家族と一緒に里帰りして来て今に至ります。久々に幕張で暮らしてみると、昔通っていた床屋さんなど、ほとんど変わっていないところもある一方で、巨大なイオンモール幕張新都心が出来ていたりと、大きな変貌を遂げた部分も少なくありません。10年の歳月を、独りシミジミ感じたりしています。

では、私たち家族が、なぜ武蔵小杉から幕張に住居を変えたのか。子どもの成長とともに、部屋が手狭になっていたなど、細かな理由も上げると色々とありますが、転居を決心する大きなきっかけがありました。

それは、父親に病気が見つかったことです。幸運にも今では回復しているので、杞憂だったとも言えますが、当時は父一人で歩くこともままならず、一緒に暮らす母をサポートしたり、父を介護する人手が必要になるだろうと想像しました。また、そうした変化にともなって、我々夫婦の共働き生活も、従来通りでは成り立たなくなると思えたのです。

これまでは、子どもたちが急に熱を出したりした場合など、妻の実家は長野のということもあって、私の母親に幕張から川崎までちょくちょく来てもらっていました。片道で2時間くらいかかるため、そもそも無理を強いていた部分もありますが、今後は父親を一人にしておくわけにもいかず、もう母へのヘルプはお願いできなくなると覚悟せざるを得ませんでした。

生活環境を変えて“家族の幸せ最大化”を目指す

妻は川崎市内の職場でフルタイムの勤務だったため、もし幕張に引っ越すとその仕事は続けるのはほぼ不可能です。私自身は経済的にも、やや躊躇する気持ちがありました。しかし、今直面している状況から、親子や家族として生活を維持するには、両親の居る幕張に引っ越すしかないと思い至り、夫婦で相談のうえ、転居を決心したのです。

幕張で新しく住む部屋は何とか見つけられたのですが、事前に区役所に介護の申請について質問に行ったり、私の仕事が上手く進まないみたいな事態も重なり、その当時は、日々の活動になかなか前向きな気持ちになれませんでした。正直、心身ともにシンドイ状態にあったのを覚えています。

ただ、引っ越しの準備をする中で、父が受けていた治療の効果が出始めたこともあり、いざ新しい生活を始めてみると、想定以上に順調な幕張生活になりました。心配していた子どもたちの小学校や保育園も、割とすぐに馴染めたようでしたし、何より二人とも新しい家や身の回りの場所を気に入ってくれたのが大きかったです。

もちろん、幕張での生活の何もかもが満点というわけではありません。地域や横のつながりが、やや希薄に思えたり、期せずして高齢化問題の渦中に飛び込んでしまったり、課題も散見されます。とはいえ、これからも「住めば都」のココロモチで、家族全員、協力しながら暮らしていけたらと思っています。

ちなみに、父親は私たちが幕張に来てから、また別の病気で入退院を繰り返したりもしましたが、すぐに見舞いに行けたり、気になるとちょっと顔を見に実家に寄れるので、そばに来たかいがあったなと思っています。そして、孫と顔を合わせる機会が多くなり、月並みですがそれだけでも親孝行できているように感じています。

Posted by 羽生 和彦

1971年生まれ、東京都調布市出身。大学卒業後、出版社、媒体社、PR会社などに勤務し、主に記事コンテンツの企画、編集など、コンテンツマーケティングに従事。現在はNagatacho GRiDで、Webコンサルタントとして働く。上級ウェブ解析士。プライベートは妻と息子、娘の4人暮らし。共働き未来大学では、編集やサイト解析を担当。
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