2017.08.30,

私の “専業主婦願望” は男性社会におけるバリキャリ的働き方からの単なる逃げだった【上】

連載エッセイ 小山 佐知子の『働くホンネ』
第一回のテーマは、バリキャリ女性の心の葛藤。男性と肩を並べて頑張るバリキャリ志向の女性が、自分の中の女性性と向き合ったときのジレンマを自身の体験談を通して綴ります。

 

私が新卒で入社した会社は、出版広告業界らしくそれはそれは体育会系の職場だった。入社してわずか3週間後には先輩社員の営業同行にくっついて行ったり、見よう見まねでテレアポをしてみたり。全社的に、緻密に計画された新人研修プログラムの用意はほとんどなく、現場で叩き上げる気満々のスタンスで。とはいえ、早く現場に出てみたかった私にはそれはそれで好都合。馬鹿の一つ覚えとはこのことか、必死にテレアポマニュアルを叩き込んでいた。大学生活を送った京都から大都会東京に出てきたばかりの浮かれに浮かれたフレッシャーズ時代。将来のビジョンなんてこれっぽっちも真剣に考えていなかった頃が、今となっては本当に懐かしい。

話は変わるが、よく“風通しのいい職場”という言葉を聞くけれど、未だにそれって何なんだろうと思うときがある。ドアを開けっぴろげにしすぎて言いたい事を本音で伝え過ぎると、やれセクハラだ、パワハラだと矢が飛んでくる。厄介な時代だ。

入社1年目、2年目くらいの私は、お気楽に仕事を楽しんでいたたせいか、「お前また太ったな〜〜ガンガン営業行って汗かいてこいよ〜!」なんて上司に言われても、ムキー!となるどころか「えへへ」と笑って応えるちょっとイタい子だった。女子として全く傷つかないわけではなかったが、それが会社の“風通しの良さ” だと勘違いして。

私が就職活動していたのは2002年の冬から2003年の春にかけての約半年間。早期の段階で第一志望としていた企業にはあっけなくフラれ、本当の意味で就職活動のイロハが分かった2月の段階で第一志望と心をときめかせた会社に最終的に入社した。いざ入社して、どれだけセクハラ的なことを上司や先輩に言われようと、えへへと笑えたのは、恋して結ばれた相手(会社)がゆえいだと、今思う。

 

営業職として “成果を残す” という意味では、決して最初から順調だったわけではない。むしろ、最初の1年は、私は同じ部署の同期の中でビリだった。それなりに苦労したし悩んだりもしたけれど、OFFはしっかり遊んで恋もして、あれよあれよと26歳で婚約、結婚した。夫とは社会人よさこいチームで出会った。ちなみに彼は11歳年上だ。

当時の部署は、男性比率が高めで管理職を中心に年齢層が比較的高かった。ちょうど私の年代から会社として新卒採用の人数を増やしていたので、かわいい後輩はそれなりの数がいたが、ロールモデルになるような2、3歳上の営業マンは不在。上司からは娘のように、7歳ほど年の離れた先輩がたからは妹のような形で可愛がってもらった。

最初こそダメ営業マン(ウーマン)だった私だが、入社3年目の秋くらいから徐々に結果を出し始め、入社4年目の秋に入籍したあたりは、公私ともに  “いけいけドンドン” だった。とにかく仕事は楽しくて動けば動いただけ成果が出る。営業はそれが数字になるわかりやすい仕事。長時間労働上等!とばかりに夜はデスクにかじりついていた。

 

私も夫も、もともとそれほど  “子ども”  という生き物に執着がなく、少なくとも私はどちらかというと子どもが苦手だった。だから、結婚したからといって子どもがほしいとか、そんな事も微塵も考えたことがなかった。母親が専業主婦だった私と違い、夫は共働きの両親の元で育った人なので、交際中から私が働くことにとやかくは言ってこなかった。彼はまた、結婚してからも私の体調を気遣うことはあっても「早く帰ってこい」と怒ることもなく、そんな甲斐性ある夫に私は甘えるだけ甘え、いつも平気で20時にデスクで月見バーガーを食べていた。何かに “負けまい” と、とにかく必死で。

 

ところが、そんな私にある“変化”が起こったのは結婚後1年半くらいしてからのことだった。猪突猛進とばかりに仕事をしてきた私が、柄にもなくよく悩むようになったのだ。

私、このままこのペースで働けるんだろうか?

最初は、ちょっとした季節の風邪みたいに自覚しつつスルーをしていた。でも、途中からその “症状” を無視できなくなっている自分に気付いたのだ。

 

26歳での結婚は、首都圏では割と早いほうで、大学時代の同期や会社の同僚の中でも2番目くらいに早かった。夫の理解に加えて周囲が独身だらけという環境は、その症状が出るまでの間、私から “既婚者である自分” を完全に忘れさせていた。飲みに行くのも残業するのも、夫にはメール1本。フットワーク軽く動いていたのがそれまでの私だった。

そんな私が頻繁にボーっとしては悶々とため息をつくようになったのは、青天の霹靂とも言える春の人事がきっかけだった。営業課長への昇進を告げられたのだ。そう、管理職だ。28歳の春のことだった。

確かにこれまで、 “プレイヤー” としての成果は残してきたが、私は決してトップセールスだったわけではない。若くして管理職になる先輩は他の部署にもいたが、彼らは常にトップセールスだったことを考えると「なぜ私が?」という疑問で頭がいっぱいになった。今思えば、上司にも考えがあってのこと(中には政治的な意味合いもあったのか)だろうが、そんなことは当時の私に考える余地もなく。

30代後半〜40代の男性が多い職場。営業部門の女性管理職ゼロという環境において、女性(それもましてや20代)で管理職を任されるのはどうなんだろうか? うろたえながら「無理ですってば!」と答えるも、辞令というものは飲むしかない。上司の期待は素直に嬉しかったが、正直なところ、不安の方が幾分も大きかった。

 

そんなこんなでいざ管理職になってみると、現場のいちプレイヤーだった頃と比べて、見える世界があまりに違うことに大きな衝撃を受けた。いい意味で言えば “視野がとても広くなった” 。悪い意味で言えば、 “男性中心の社会に幻滅した” 。今だから正直に言おう。後者の方が正しかった。

最初に驚いた(幻滅した)のは、着任半年後に行われた「新任管理職交流会」という名の酒席だった。喫煙者だらけで煙がモクモクした大衆酒場で行われたその会は、参加人数30人中、女性はたったの3人で、年齢で区切っても私はやはりアウェーだった。まぁ、そんなもんだよね、と状況を飲み込む。

だが、酔った幹部がふと漏らしたある発言に、私の中の糸がプツンと切れたのだ。

「せっかく上にあがったんだから、当面は産まないよね〜?」

プツンと糸は切れたが、正確に言うと、意図を理解して糸が切れるまでに1、2分ほどかかったかもしれない。

1)せっかく、あがった?
→私は管理職になりたかったのか?いや、チガウ

2)上にあがったんだから、産めない?
→なぜその2つがイコールになっているんだ?オカシイ

 

実際に、当時の職場で出産して職場に戻ってくる女性は、第一線から外れた人ばかり( “総合職の中の一般職” と呼んでいた)だった。だから、「管理職の女性が産むな」という役員の言葉はあながちわからなくもなかった。とはいえ、やっぱり変だ。おかしい。セクハラでありパワハラには違いない。「第一、私は産みたいなんて思ってもなかったんだから!!!(心の声)」

そんなふうに頭の中がいろんな気持ちでぐるぐるしているうちに、モクモクの煙に耐え切れず、私は部屋を出た。そしたらなぜか泣けてきた。侮辱されたような気持ちで、ただ惨めだった。そして、それ以上に自分自身に腹が立った。

私を苛立たせたのは、私の中の“女子”だった。「もっと早い時間にセッティングしてくれたらよかったのに…」モクモクの部屋の中で、実はずっとこう思っていた。18時から始まっていれば、今ごろはもう解放されて家にいれるじゃないの、と。

でも、なにかがおかしい。これまでだって、残業が終わった20時半から飲みに行くことなんか私にとっては日常茶飯事だったじゃないか。それなのに、今日の私はこんなにも帰りたがっている。デスクに戻ればまだまだ残した仕事も残っている。でも、帰りたいって……思ってる? そんなヌルいこと思っちゃってる?

極め付けは、もう一人の新任女性課長に、私が無意識に発したこの言葉だ。「女子もいるんですから、お店の選択、人事ももっと考えてくれればよかったのに…ですよね」

は??? 私、なんでそんな“女子っぽいこと”言っちゃってるの? 強い子じゃなかったの??

そしてしばらくしてその理由に気付いた。管理職になってからの半年間、私はことあるごとに“女性としての自分”をやたらと意識していたことに。今までは、どんな時だって、「私、女子だから(できない)」なんて弱音を吐いたことは一度もなかった。それが、ここ最近の私は、何かにつけて自分の中の“女性性”を理由にあーだこーだと言い訳をしている。そんな自分に気づき、私は苛立ち、情けなくて混乱した。そしてその後も、紅一点の酒席に出るたび、私は自分を責め続けたのだった。

 

でも、ある日、我慢ができなくなった。本当は気づいていた、自分の本当の気持ちが抑えられなくなったのだ。

「私、夫とご飯が食べたい」

本心から目を背けられなくなってからは、ひたすらジレンマとの戦いになった。

  • 残業しないと成果は出ない
  • 残業することがえらい
  • 自分にとっての上司(部長)に酒席の付き合いをするのは当然だ
  • 部下のためにいい上司でいなければ

 

20代で管理職に就いたことは得難い経験であり、娘や妹のように可愛がってくれた当時の上司(今もなお交流がある)には育ててくれた恩義も感じている。

でも、体育会風度で“風通しがいい”とされる組織から受けた「〜でなければならない」という『べき論』からの支配は、私にとって苦痛だった。そしてきっと、仕事もしたいけれど家庭も大事にしたいと考える全ての女性にとっても苦痛だったに違いない。

とはいえ、この経験はまだ序の口。そんな男性社会の実情に本当の意味で幻滅したのは会社を辞めてからだったのだから。

 

Posted by 小山 佐知子

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