前回のコラムでは「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)長寿化時代の人生戦略」のレビューとして、長寿化する100年ライフの生き方や働き方を考えてみました。
個人はより軸とオーナーシップをもって人生をサバイブする時代になると思いますし、そうした個人をあらゆる面で支えるのが家族でありパートナーだと思います。
ライフシフトで書かれているように、私たちを取り巻く環境は日々刻々と変化しています。従来の3ステージが崩壊することは想像に容易いものの、マルチステージ化についてはどこかピンと来ていなかったり。でも、みんな「今の当たり前」がいつまでも続かないことだけはよくわかっています。
夫と私が結婚した頃、週末によく通っていたレンタルビデオ店も3年ほど前に閉店 (廃業) し、サービスやニーズの変化はもちろん、職業の入れ替わりについても色々と考えさせられています。(私たちの子どもはもはやどんな未知なる職業に就くか想像できないのですから…)
私たちを縛っている固定概念
そんな時代の変革期のいま、私は多くの人が、過去と今の間で揺れ動き、生きにくさを感じているように思います。実は私自身もこの6年ほど、ずっとモヤモヤしたものを抱えていました。でも、出産し子育てを経験したことでそのモヤモヤがきれいになくなりました。
私たちを縛っているのは、古い価値観や固定概念です。
時代の変化とともに、過去の成功事例や価値観が見合わなくなってきて、それに気づいていいるのに「〜あるべき」という固定概念に囚われて身動きが取れなくなっている人のなんと多いことか。
長時間労働しかり、三歳児神話しかり、もはやこれらは神話でしかないのに。
なんか違う……と感じつつも、過去の世界観から抜け出せないのは本当に居心地が悪いものです。
(もちろん、過去のもの全てが時代遅れというつもりは毛頭ないのでそこは補足しておきますね)
- 男性は仕事、女性は家庭
- 子どもを1歳に満たない子どもを保育園に入れるのはかわいそう
- 子どもは3歳までは母親のもとで育てるべき(三歳児神話)
- 充実した仕事と十分な育児の両方を叶えたいというのはわがままなこと
- 残業するのは偉い、滅私奉公は素晴らしい
- 共働きの家庭の子どもはかわいそう
固定概念は、ときに選択や前向きな行動の足かせになります。
育休から復帰するママが、朝の保育園で泣き叫ぶ我が子と別れるときの胸の痛み。保育園にお迎えに行ったらポツンと我が子だけが残っていた時の申し訳なさ。
ネット上であれ、リアルであれ、「そうまでして働かなきゃいけないの?」と言われた言葉にどれだけのママが傷つき、悩んでいることか。
外野の声は死ぬまで消えない。今すぐヘッドホンを!
私は、4年間の不妊治療の末に息子を授かりました。結婚2,3年目までは望んでDINKSをしていたので、結婚後半年もすると世間から押し付けられる「子どもを持ってこそ一人前。早く子どもを」なる声には辟易していましたが、欲しいと思ってもできない時の同様の言葉は胸をえぐられるような辛さがありました。
ちなみにこの「〜してこそ一人前」というのは子どもに限らず、家や車にもいえることで、それらを引き合いに何かにつけて半人前のレッテルを貼りたがる世間には本当にイライラしたこともあります。
でも、息子が生まれて1年半ほどしたとき、急にそうした声がバカバカしくなり全く一喜一憂しなくなったのです。
きっかけは、2歳になったばかりの息子と電車に乗っていたときのこと。見ず知らずの60代くらいの女性が突然話しかけてきたかと思うと「そろそろ二人目考えてるんでしょ?」とぐいぐい入ってこられたのです。
子どもがいなければ「子どもを持ってこそ一人前だ」といわれ、一人だけだと「一人っ子はかわいそう。二人いてこそ一人前だ」といわれ……。人は、責任のない相手の人生にああだこうだというだけなので、多くの場合、そこに大意はありません。「外野の声」はお相手するだけ無駄なんですね。ましてや真に受けて一喜一憂するなんてそれこそ自分がかわいそう。何をしていても、どんな状況でも、「外野の声」は一生つきまとうんだろうな、と思えた瞬間、私は真に受けて構ってきた自分がばかばかしくなりました。ヘッドホンを装着してニコニコと聞き流すが吉ですね!
どんな状況でも、自分を認めること
ありのままの自分に「これでいい」「私は私だ」と思えることもまた、心が落ち着きます。先程の固定概念しかり、特に、働く女性を取り囲む環境は、 “制度” や “福利厚生” とは別のところで大きな山がそびえています。先日私の友だちがマンションの住人ママに「子どもの将来には幼稚園じゃなくちゃ」と言われて凹んでいましたが、彼女がすぐに立ち直れたのは何より仕事を楽しんでいるから。子どもにとっては仕事を楽しそうにしているママの顔を見るほうがよっぽどいい影響があるかもしれません。難しいけれど、「私は私」という軸を持てると、何かを選択するときの足かせが少しずつ外れていくと思います。
パートナーシップが強まると自然と外野がどうでもよくなる
共働き家庭の子どもはかわいそうという発言しかり、三歳児神話しかり、極めてナンセンスだと思う背景には、これもまた「家事・育児は女性がするもの」という固定概念が見え隠れしています。
共働きが主流になりながら、いまだ家事・育児といったアンペイドワークが女性の仕事になってること自体ナンセンスです。妻の働き方がフルタイムであれパートタイムであれ、共働きをする以上、家事や育児は共にすることであってほしい。家族の結束が強まれば、それこそ外野の声は本当に気にならなくなります。
我が家では、平日の家事労働時間は私より夫のほうが多いくらいです。夜に洗濯物を畳みながら会話する時間はおしゃべり好きな私にとってはいいストレス発散にもなります。