16年間モヤモヤを溜め込んだ妻
気づかないうちに心の距離が広がっていった
小山:ちょっと遡りますが、そもそも結婚を考えたときの心境はどんな感じだったのですか? 考え抜いて決断したとか、勢いでとか、押し切られたとか(笑)。いろんなパターンがありますよね。女性は「28歳までに結婚して30歳までに1人産みたい」みたいなライフプランが漠然とでもある人が多いですが、男性の場合はそうじゃないですよね。
河本:そうですね。私も当時は「30歳過ぎくらいに結婚するんだろうなぁ」ぐらいのことしか考えていなかったですね。そんなとき、彼女と出会い、付き合って、結婚した。いや、本当にあんまり考えて結婚しなかった。考えていたら結婚できない、というのもありますからね(笑)。
小山:あはは……。確かに。私の夫もそうでした。
河本:ちなみに妻とはリクルートの同期でして、結婚当初は彼女も働いていたんです。ただ、当時、会社に制度はあれど“子どもを育てながら働く”という雰囲気はあまりなくて。彼女は仕事が好きでしたが、妊娠をきっかけに一旦専業主婦になったんです。
小山:一旦?
河本:そう。第一に子どもと一緒にいる時間を大切にしたかったから。それに育った家庭が “母親は子育てを、父親は仕事を” でしたからね。私たちの親はそういう世代の人たちでしょ。だから彼女も自然にそう選択したというか。
小山:いわゆる性別役割分担というやつですね。私の両親もそうなのでよくわかります。
河本:ただ、本当は妻自身も、ずっと専業主婦でいたいとは思っていなかったんです。実際、下の娘が幼稚園くらいから在宅で仕事をはじめていましたから。とはいえ一方で、子育ては自分がメインでやるべきだと思っていた部分もあって。離婚危機に至るまでの16年ぐらい、長い時間をかけて彼女の中で「私はこのままでいいのだろうか」「何か違うな」というモヤモヤが溜まりに溜まっていたんですね。私は彼女のそんな気持ちには気付いてあげられませんでしたけど……。
小山:16年……。奥様はさぞ葛藤があったでしょうね。しかも気持ちを一番わかって欲しい夫はいつも不在という(苦笑)。会話不足は心の距離を広げる大きな要因だったのでしょうか?
河本:そうですね。下の娘が小学校時代の6年間、私はずっと単身赴任していましたから。最初は毎月何度か週末は家に帰っていたんですが、だんだん回数が減ってきて、最後の1年は上海赴任になったのでほとんど家にいない状況でした。
小山:6年もの間、一人で2人の子どもの育児って、想像を絶します!!
河本:ですよね。その頃は仕事最優先に拍車がかかっていました。そして妻との関係悪化が表面化したのは、単身赴任が終わってからでした。妻からすると相も変わらず自分の仕事や遊びのことしか考えていない夫を目の当たりにして、我慢の限界だったのでしょう。私の方は、ようやく単身赴任が終わって家族一緒に暮らせると単純に喜んでいたくらいでしたので、当時は「なぜこんなに噛み合わないんだろう」と悩みましたね。